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東京高等裁判所 平成3年(行コ)139号 判決 1996年3月21日

控訴人(被告) 静岡労働基準監督署長

被控訴人(原告) 鈴木一仁

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、第一、第二審とも被控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  控訴人

主文同旨

二  被控訴人

本件控訴を棄却する。

第二当事者の主張

当事者双方の主張は、原判決五枚目裏七行目の「九六」を「九六mmHg(以下、単に数字でもって血圧値を表示する。)」に改め、一〇枚目裏六行目の「資材部」の次に「資材管理課」を加え、同枚目裏一〇行目から一一行目にかけての「フォークリスト」を「フォークリフト」に、一一枚目裏二行目及び一二枚目表一一行目から同裏一行目にかけての各「実動」を「実働」に、一一枚目裏五行目の「出勤前」を「出張前」に、一三枚目裏五行目の「(水)」を「(土)」に、一五枚目表三行目の「(木)」を「(日)」に、一八枚目表四行目の「CT所見」を「コンピューター断層撮影法(以下、「CT」という。)による所見」に、二一枚目表六行目から七行目にかけての「脳動脈瘤が破裂」を「脳動脈瘤の破裂」に、三三枚目裏八行目の「重激なる」を「過重な」に、三九枚目表七行目の「白質内であるが、」を「白質内ではないが、」に、同枚目裏九行目及び一一行目の各「脳動脈瘤」を「脳動脈瘤破裂の場合」にそれぞれ改めるほかは、原判決事実摘示「第二 当事者の主張」欄の記載のとおりであるから、これを引用する。

第三証拠関係<省略>

理由

一  請求原因1(当事者)、同2(光の死亡に至る経過)、同3(保険給付請求と不服申立て等)の各事実は当事者間に争いがない。

二  そこで、同4(取消の理由)すなわち光の脳出血による死亡が本件業務上の事由によるかものかどうかについて検討する。

1  光の家族構成・職歴(同4(一)(1)<1>、<2>)

光の家族構成・職歴については、原判決理由説示のとおりであるから、該当判示部分(原判決四〇枚目裏二行目から六行目まで)を引用する。

2  健康状態(同4(一)(1)<3>)

原判決四〇枚目裏一一行目の「第一五号証の一」の次に「、原審証人中村芳文の証言、原審における鑑定の結果」を加え、四一枚目表二行目の「同五〇年」から同三行目の「示していたこと、」までを「同五〇年及び同五三年の拡張期血圧がそれぞれ九六、九〇とやや高値を示していたけれども、収縮期血圧はいずれも一二〇と正常値であり、同五一年には収縮期血圧が九〇、拡張期血圧が八〇、同五二年には収縮期血圧が一〇〇、拡張期血圧が八〇、同五四年には収縮期血圧が一二〇、拡張期血圧が七〇であったから、これらの数値によれば、光について高血圧症であったとはいえず、妻の敏恵においても光が高血圧症であるとの話は聞いたことがなく、むしろ血圧は低いのではないかとの認識を持っていたこと、」に改め、同枚目表一〇行目末尾に「光は、敏恵と婚姻してから、右の十二指腸潰瘍以外病気らしい病気をしたことはなかったこと、」を加え、同一一行目の「応援販売のため」から同枚目裏一行目の「実施しなかった」までを「静岡製作所において、出張業務の内容が高所作業や重量物の取扱いを伴うものについては、派遣前に該当者に対する健康診断を実施したけれども、販売応援については通常の健康状態であれば誰でもできるとの考えから、定期健康診断(毎年従業員の誕生日のころに実施される。)で異常のなかった者を派遣し、派遣前に特に健康診断を実施しなかった」に改めるほかは、原判決四〇枚目裏八行目から同四一枚目裏二行目までのとおりであるから、これを引用する。

3  光の性格(同4(一)(1)<4>)

原判決四一枚目裏六行目の「高かったが、」の次に「生活態度も堅実で、会社の同僚と酒を飲んだり、遊びに行ったりする付き合いもなく、」を加え、同七行目の「勤務先」から同一〇行目の「内向的であったこと」までを「同僚に家庭内のことを話すこともなく、内向的であったが、飲酒して酒癖が悪くなることはなく、明るくなる方であったこと」に改めるほかは、原判決理由説示のとおりであるから、該当判示部分(原判決四一枚目裏四行目から同一一行目末尾まで)を引用する。

4  光の出張中及び出張前後の状況(同4(一)(2)<1>ないし<3>)

同4(一)(2)<1>の事実(光の出張中の業務内容及び労働時間等)及び同4(一)(2)<2>の事実(出張前後の業務内容の比較)のうち、光が一日中立ちっぱなしのままで仕事をしていたことを除いたその余の事実はいずれも当事者間に争いがなく、右争いのない事実と、前記甲第四号証、成立に争いのない同第五ないし第一二号証、第二八号証、乙第三二号証の二、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成した文書と認められるから真正に成立したものと推定すべき乙第五、第六号証、第九号証、弁論の全趣旨によって真正に成立したものと認められる甲第三一、第三二号証、原審証人中村芳文の証言、同井口静雄の証言の一部並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、成立に争いのない甲第一七、第一八号証、原審証人井口静雄の証言中この認定に反する趣旨に帰着する部分は採用しがたく、他にこの認定を覆すに足る証拠はない。

(一)  静岡製作所では、約二〇年位前から販売店に対する応援業務を行っており、営業部業務課がその計画人選の主体となっていたが、具体的な人選は職場長が行い、勤労課が旅費・日当の支給、該当者の人事管理健康診断結果に基づく適否等を営業部業務課に報告していた。販売店に対する応援業務は、販売応援とエアコンの据え付け業務があり、主として四ないし七月にかけて派遣され、最長二か月、最短二日位、年間数十名から数百名が首都圏や大阪、名古屋地域の各販売店に派遣された。販売応援については、特に販売上の責任量はなく、一週間ごとにアンケート形式の店頭販売応援中間報告書により状況報告をする義務があっただけである。

(二)  応援業務はできるだけ平等に行われることを原則に、職場における話合いの結果等に基づき職場長が具体的な人選を行い、健康上の問題や家庭の事情を理由に応援業務を断ることはできたが、そのような事情がないのにこれを断ることは事実上困難であった。派遣された従業員は、出張中は決められた宿舎で泊まり、派遣された販売店に通うことになっており、出張中の健康管理については、販売店、宿舎、静岡製作所間で特に委託や取決めはなく、当人の自己責任になっていた。ただし、長期間派遣された従業員については、昭和五五年七月当時営業部管理課の登崎庄司郎がその管理責任者となって派遣先の各店舗を巡回していた。

(三)  光は、これまで出張したことがなく、以前応援業務について意向を聞かれたときには、妻敏恵の健康状態がすぐれなかったため、これを断った経緯がある。その後敏恵の健康状態が回復し、光自身の体調も悪いところがなかったので、昭和五五年五月ころ班の話会いの際応援業務に応じる旨を申し出た。そして、光が趣味にしていた弓道の試合が同年六月に予定されていたので、それが終わる同年七月一日からマツモト電器店で応援業務に従事することになった。応援業務の内容は、当初エアコンの据え付け業務とされていたが、出張一、二週間前に店頭販売業務に変更になり、無口な性分の光はこれを気にして、敏恵を相手に接客の練習をしたりした。静岡製作所においても一日間の研修があり、光もこれに参加した。

(四)  マツモト電器店のある埼玉県富士見市は新興都市で、駅から少し離れると、田圃があり、マツモト電器店は駅から五〇〇メートルほど離れた住宅街にあった。同店の隣がデパートであり、人通りの割りと多い大通りに面していた。同店は、一般客を対象に、一般家庭用電気製品及びオーディオ製品の販売をしていた。勤務時間は、午前九時半から午後八時ころまでであり、午前九時半から店内で朝礼、それから開店準備、一〇時開店、午前一〇時から午後七時までが営業時間、閉店後商品整理その他の残務整理があって午後八時ころ業務が終わる。平日は来客が少なく、特に午前中から午後三時ころまでは店が暇であり、夕方ぼちぼち来客がある程度であった。土曜日は平日の一・五倍、日曜日は平日の二倍ほどの来客があるが、それでも応対に忙しい思いをするほどではなかった。光が同店で販売応援に従事していた当時、東芝と日立家電から各一名が同じように販売応援として同店に派遣されていた。

(五)  光は、昭和五五年七月二日昼ころ南埼玉三菱商品販売の前田課長運転の乗用車でマツモト電器店に到着した。同店長の小島清が、光に対し、お茶を飲みながら雑談形式で業務一般について説明した。翌三日、光は午前中展示商品の清掃などをし、午後は同店一階一般家庭用電気製品売場の主任である吉田正男から、伝票の書き方やその他の業務について説明を受け、商品知識を得るため、他社製品のカタログも読むように言われた。商品補充の仕事、季節品コーナー(扇風機、エアコン)が光の受持ちとなった。その後同店の店員と二人一組でペアを組み、「電化ショウ」の売出しのチラシを約一〇〇軒の家庭に配付して回ったが、「電化ショウ」の説明は、同店店員が行い、光は横で聞いている程度であった。昭和五五年は冷夏であり、エアコンの売れ行きも悪く、土曜日、日曜日以外の午前中は、手持ち無沙汰の感じさえした。右小島清、吉田正男とも、これまでに同店の販売応援のため工場から派遣されてきた従業員を多数受け入れてきた経験から、同店で仕事を始めてから三日間や一週間ほどでは本格的な接客業務ができないことをよく知っており、光の緊張をほぐし、早く店の雰囲気に慣れてもらうように気をつけて対応した(三菱電機株式会社営業部業務課主事山本修亮が、同月二日光と電話で話をした際、光が「小島店長はじめまわりの人達が面倒をみてくれるので一生懸命やります。」と言っていたことは、前記のとおり当事者間に争いがない。)。光は、展示品の清掃、商品整理、通路の整理等のほかは、仕事らしい仕事はしていなかった。したがって、光が、できるだけ多く自社製品を販売するため苦労するとか、他社から派遣された者と競争しなければならないとの理由で緊張するといったことはなく、それ以前の段階であった。同店の業務に関し光が仕事上の不都合を起こしたり、失敗を犯したことはなく、また、電話応対はほとんどしていなかった(なお、原審証人井口静雄の証言中には、光が商品説明をできなかったため、マツモト店の者から「よくこんなことで来たなあ。」と言われたと、井口に話したとの部分がある。しかしながら、同証人の陳述書である甲第五号証にはそのような記載はなく、かえって、光とは余り長く話をする機会がなく、「今日の売れ行きはどうでしたか。」といった程度の会話しかしなかったと記載されていること、及び前記甲第一一、第一二号証、乙第五、第六号証の各記載、原審証人中村芳文の証言に照らし採用できない。)。

(六)  首都圏の販売店に対する応援業務のため派遣された従業員は、東京都文京区本郷にある富士館を常宿としていたので、光も富士館に宿泊してマツモト電器店に通った。静岡製作所の井口静雄と三菱電機株式会社を定年退職しその後人材派遣会社で働いていた豊田義雄と相部屋だった。通勤時間は約一時間二〇分であり、通勤経路は、富士館から徒歩三分で本郷三丁目駅、本郷三丁目駅から地下鉄丸ノ内線で池袋駅、池袋駅から東上線で鶴瀬駅、徒歩五分でマツモト電器店というものであるが、時間帯は通勤ラッシュのピークからは外れ、また、東上線は混雑する方向とは逆方向であり、丸ノ内線に乗っている時間帯は通勤ラッシュと重なるとはいっても、混雑の比較的少ない方向であり、混雑状況は、午前八時から午前八時一〇分までの間(前記甲第三二号証によると、光は午前八時ころ富士館を出て、マツモト電器店に向かったことが認められる。)は五〇パーセント(新聞雑誌等は十分読め、一車両五ないし六名の空席がある。)程度であるから、身体的・精神的にそれほど負担になるものではない。富士館は環境も静かで、その年は冷夏でもあって凌ぎやすく、特に光が不眠を訴えたことはなかった(なお、原審証人井口静雄は、特に光が不眠を訴えたことはない旨等が記載された同証人の陳述書である甲第五号証の内容は、同証人の記憶通りである旨証言した上、右の記述を補足する形で、同室の豊田義雄の鼾が多少大きいため、光が「ちょっと気になるな。」と言っていた旨供述した。右供述の趣旨は、その供述経過に照らし、右陳述書の記載内容を変更するものではないと解されるが、その後同証人がさらに、豊田義雄の鼾について光が「まいるな。」と述べていたと証言し、光が睡眠妨害を訴えていたとの趣旨に帰着する供述をするが、右供述部分は、右陳述書の記載内容を否定するものであって、採用することができない。)。光は、朝食は富士館で採り、夕食は適宜外食した。

(七)  販売応援業務は、ほとんど一日中立っている状態であり、かつ接客業務であるため、少なくとも慣れるまでは足が痛くなったり、精神的に緊張することがあり、また、新しい環境、人間関係に慣れるために気を使うことも考えられるが、格別難しい仕事ではなく、静岡製作所では、ほとんどの従業員がこれを経験しているが、これまでに健康上の災害が発生したことはなく、また、小島清の経験上マツモト電器店に販売応援で派遣された者の中で身体不調を訴えた者や業務を途中で切り上げた者もいなかった。実際に販売応援業務に従事したことのある静岡製作所の従業員には、最初は少し緊張するが慣れれば気にならない、かえって、環境が変わって刺激になるとの感想をもらす者と、実際店頭に立つとかなり気をつかい緊張するとの感想をもらす者がいる。光は、経験のない業務であったことからこれを気にし、敏恵を相手に練習をしていたものであるが、出張してからも、同室の井口に対し、「私は、初めてだから気を使う。」とか、出勤前に「気が重い。」と言ったりした。マツモト電器店において、前記吉田正男に紹介された際も、丁寧に挨拶をし、気を使っている様子が見られた。そのほか、パンフレットを読み、他社製品を含めて機種の名称、規格、性能、専用回路等を手帳にメモするなどし、店頭販売に従事するための準備をしていたが、富士館に帰ってからも同宿の者に商品知識、応対の仕方等を聞き、必要以上に気を使っている様子が見えた。宿舎やマツモト電器店でも元気のない様子であったが、同月五日午後まで特に身体の不調を訴えたことはなかった。

(八)  光が静岡製作所で勤務していた際には、朝七時三〇分ころ自家用車を運転して出勤し、午後六時ころ帰宅するのが通常であった(残業のあるときは午後八時ころになる。)。仕事の内容は、現品係として、エアコン関係の部品を倉庫に搬入、保管し、必要に応じ数を揃えて工場に払い出す作業であるが、伝票処理の標準化、コンピューター化が行われているため、光が長期出張をしても、係が困ることはなく、光が出張前にまとめて仕事を片づける必要はなく、通常より多少忙しい程度であった。出張中のマツモト電器店における業務の終業時間は、出張前のそれよりも遅いが、始業時間も遅く、通勤についてそれほど負担になるものではなかったことは前記のとおりである。

5  光の発症の経緯(同4(一)(3))

原判決四七枚目表七行目から同五二枚目表九行目までを引用する。ただし、次のとおり付加、訂正する。

(一)  原判決四八枚目表一一行目の「光の発症の経緯」欄の「光は、」の前に「鶴瀬病院受診時の光の健康状態は、腹部に特に所見なし、意識明瞭で瞳孔左右差は認められない、収縮期血圧一二〇、拡張期血圧八〇というものであり、」を、同五〇枚裏一〇行目の「光の発症の経緯」欄の「瞳孔不同」の次に「、収縮期血圧一二〇、拡張期血圧八〇」をそれぞれ加え、同一一行目の「光の発症の経緯」欄の「レントゲン」を「CT」に改める。

(二)  同五二枚目表七行目から同九行目までを次のとおり改める。

「(三) 右(二)の認定事実及び前記乙第一〇号証の一ないし三、第一八号証、成立に争いのない乙第一六号証、原審証人中島正二の証言、原審における鑑定の結果によれば、光は、脳出血により死亡したものであるが、昭和五五年七月五日午後四時ころ頭痛がし気分が悪いと訴えた時点で発症し、その後嘔吐、足取りの不安定、しっかり立てない状態へと進行し、さらに部屋を間違える等の地誌的失見当識の発現を経て、頭痛が激しくなり、嘔吐を繰り返した後意識混濁、昏睡状態へと進行したものであり、突発性頭痛により発症した脳出血が徐々に進行して、見当識障害を発現し、約二〇時間かかって意識昏睡状態に陥ったものと考えられ、これらの症状の推移は、当初の小さな出血が最終的に前記CT所見による巨大血腫に広がったことを示しており、発症の経緯、症状の進行は急激ではなく、緩慢であった。なお、帝京大学病院における光の開頭手術記録中には、血腫腔内には動静脈奇形のような異常血管は認められなかったとの記載があるほかは、脳動静脈奇形の所見の記載はない。」

6  光の脳出血の病理的な原因(同4(二))

前記乙第一〇号証の一ないし七、第一六号証、第一八号証、成立に争いのない甲第三七ないし第三九号証、第四四、第四五号証、第四七号証、第五〇号証、乙第一一ないし第一四号証、乙第三五号証、原審証人中島正二、当審証人馬杉則彦の各証言、原審における鑑定の結果の一部によれば、次の事実が認められる。

(一)  脳血管病変の原因

(1) 脳出血発症の機序

脳出血発症の機序は、脳血管の病変(血管構造の弱点)に血行力学的影響が加わって発生するものと考えられる。単に一過性の血圧上昇のみでは出血しない。脳血管が正常であれば、通常の血圧の三倍あるいは四倍の圧力がかかっても破裂することはなく、人の屍体の血管に一五二〇mmHgの内圧を加えても、損傷・破綻しなかったという実験結果もある。

(2) 脳血管病変の原因

脳血管の出血性病変として、脳動脈瘤、脳動静脈奇形、隠れた脳動静脈奇形、脳腫瘍等の原因疾患の認められるものと、これらの明らかな原因疾患がなく、高血圧症が長時間持続して、脳血管が脆弱化するに至った場合がある。

<1> 脳動脈瘤

脳動脈瘤の発生原因としては、血管分岐部の先天性の中膜欠損に血圧、血流の負荷が加わり嚢状に拡大するとの説が有力である。この原因による脳動脈瘤が脳動脈瘤のほとんどを占めるので、単に脳動脈瘤といえば、この先天性嚢状脳動脈瘤のことである。後天的要因によるものとして、動脈硬化症が原因となった紡錘状動脈瘤、外傷性動脈瘤等もあるが、それらの数は少ない。

<2> 脳動静脈奇形

脳動静脈奇形とは、脳の動脈と静脈との間に毛細血管を介さない短絡が起こった先天性の奇形をいい、流入動脈から、未分化の異常血管が腫瘤状にとぐろを巻いた部分を通って流出静脈へとつながったもの(真正の脳動静脈奇形)と、動脈が直接静脈と先天的に結合して瘻を形成し、静脈が拡大したものがある。大脳半球のほぼ全体を包むような大きなものから、顕微鏡的な検索によってはじめて発見されるような小さなもの(隠れた脳動静脈奇形)まであり、大きさはさまざまである。小さい脳動静脈奇形ほど脳出血の危険性が高いと指摘されている。

<3> 高血圧性脳内出血

高血圧性脳内出血の起きる原因として、現在最も広く受け入れられているのは、微小動脈瘤(ウイリスの動脈輪の近傍にできる脳動脈瘤とは区別される。)破綻説であるが、高血圧が長期間持続すると血漿性動脈壊死に基づく微小動脈瘤が発生し、これが破綻して出血を起こすという考え方である。特に拡張期血圧(最小血圧)が一一〇以上、また、高齢者になるほど頻度が高い。微小動脈瘤は、分枝部付近に形成されることが多く、組織学的には内弾性板や中膜筋細胞が消失し、血漿浸潤と壊死物が沈着したいわゆる類線維素変性に陥った壁からなり、これが血管破裂に先行する病変と考えられる。病変の起こる血管は、直径一〇〇ミクロンないし二〇〇ミクロン程度の細い終末血管であり、穿通枝、皮質枝ともに見られるが、穿通枝域の微小動脈瘤がより破れ易く、かつ大出血につながりやすい。

(3) 光の年齢・既往症

光は発症当時四〇歳の男性であり、高血圧の既往症はなかったものであり、発症当日と考えられる昭和五五年七月五日の鶴瀬病院受診時においても拡張期血圧が八〇、収縮期血圧一二〇であって正常値であったから、光に持続性の高血圧症があったとはいえず、その年齢からいっても、微小動脈瘤が形成されるほどの長期間の高血圧症の持続があったとは到底考えにくいから、右の医学的知見に照らすと、光の脳出血の基礎となったと考えられる脳血管病変は高血圧性のものではなく、むしろ、他の脳血管病変(先天的要因による脳動脈瘤、脳動静脈奇形等)であったと考える方が合理的である。

(二)  脳出血の部位等

(1) 光の脳出血の部位

手術直前に帝京大学病院が光に対して実施したCTの読影所見は、次のとおりである。

<1> 光の出血部位は、皮質下(耳の上二、三センチメートルのところで白質内)であり、頭蓋底でも頭蓋底の近傍でもない。

<2> 主たる病変は皮質下の大きな血腫であり、脳の表面に近いところにできた血腫が大部分を占めており、出血量としては中等度である。くも膜下出血も起こしているけれども、皮質下の出血が大脳の表面に出て、脳底槽のくも膜下腔に至り、同所に転々とした軽度の血腫を形成したものと考えられる。

<3> 破裂した血管は、頭頂後頭葉の中大脳動脈か後大脳動脈の末梢部の細かい血管と考えられ(穿通枝動脈よりもっと細かい血管であった可能性が強く、穿通枝動脈であった可能性は全く否定することはできないといった程度のものである。)、徐々に血腫が形成され、最終的に大きな血腫に至ったものと考えられる。

(2) 出血部位等からみた光の脳出血の特徴

<1> 脳動脈瘤破裂の場合の出血部位等

脳動脈瘤は一般的にウイリスの動脈輪(脳底部のところのリング状になった血管の構造物)の近傍にできることが多く、そのため脳動脈瘤破裂を原因とするくも膜下出血は脳底槽に非常に大きく血腫を形成する。動脈からの出血であるため、血腫形成の速度も早いのが一般的である。

<2> 高血圧性出血の場合の出血部位等

高血圧性の出血の好発部位は、脳の基底部(被殻、次いで視床)であって全体の約七割を占め、皮質内に出血する割合は少ない(皮質下出血では、絶えず高血圧以外の原因を考慮する必要があるといわれている。)。また、高血圧性出血の症状は一般に進行が急激であり、早期に血腫が形成されることが特徴である。

<3> 脳動静脈奇形による出血の場合の出血部位等

脳動静脈奇形による出血は、大脳半球の脳実質内あるいはくも膜下腔、脳室内のいずれにも起こりうるが、脳動脈瘤と同様くも膜下出血を伴いやすい(三六ないし六〇パーセントはくも膜下出血の形で初発する。)。大部分の脳動静脈奇形は、ウイリスの動脈輪より末梢に存在し、一般に脳動脈瘤破裂の場合に比し、くも膜下出血の程度は軽い。

<4> 隠れた脳動静脈奇形による出血の場合の出血部位等

隠れた脳動静脈奇形による出血の好発部位は白質内であり(原審証人中島正二は、隠れた脳動静脈奇形による出血部位は全て白質内であると証言している。)、目に見えないような小さな血管からの出血である。症状の進行は緩慢であるが、連鎖反応的に周囲の血管に出血を生じさせ、時には死亡に至るほどの巨大血腫を形成することがある。

<5> 結論

右の医学的知見に照らし、光の脳出血の部位、血腫形成の経過・態様をみると、一般的な脳動脈瘤破裂及び高血圧性出血の場合のそれとは顕著な違いがあるものというべきであり、隠れた脳動静脈奇形による出血であった可能性が最も高い。

(三)  臨床症状等

(1) 脳動脈瘤破裂の場合

脳動脈瘤が破裂すると、突然襲ってくる経験したことのない頭痛が伴うのがほぼ全例で認められ、患者は「今まで経験したことがないほどの頭痛」、「ハンマーで殴られたような痛み」などと訴える。その場合一過性の意識障害が約半数の症例でみられる。普通は、知覚・運動障害、失語症、視野障害等の局所症状を示さないのが特徴で、重症で局所症状を示せば、脳実質内や硬膜下に血腫を形成していることが多い。約半数に警告発作という出血の何日か前から頭痛を主とした前駆症状が認められる。

好発年齢は四〇ないし五〇歳であり、部位によって男女差が認められる。

(2) 高血圧性脳出血の場合

高血圧性脳出血の好発部位は、被殻、視床、小脳、脳幹であるが、出血の部位によって症状が異なる。

被殻出血の最も特徴的な症候は、突然に生じる半身麻痺であり、多くの場合知覚障害も生じる。出血は約数時間でその極に達し、重症の場合はこの時間内に脳ヘルニアを起こし、死亡する。視床出血も突然の半身麻痺で発症することが多く、知覚障害が強く出現することがある。小脳出血は、突然のめまい、吐気、嘔吐が頭痛を伴って出現することが多い。脳幹部の出血は、意識障害、片側又は両側麻痺、脳神経症状などを伴って発症する。嘔吐を伴うことが多く、多くは重症で、急激に死に至る。通常の高血圧性脳出血の中では特異的な立場を占める皮質下出血の場合には、出血部位に応じて、運動及び知覚麻痺、失語症、視野欠損等が生じる。

好発年齢は五〇歳以降である。

(3) 脳動静脈奇形破綻による出血

出血と痙攣発作が二大症状である。ある研究によると、六八パーセントに出血が、二八パーセントに痙攣発作が認められ、特に出血は二〇ないし四〇歳に多く見られるという。一般に大きな脳動静脈奇形では、初発症状として、出血と痙攣の発生頻度はほぼ同じであったが、脳動静脈奇形が小さいほど初発症状として出血を来しやすくなる。五ないし三五パーセントに頭痛を認め、通常血管性頭痛の形をとることが多い。その他運動麻痺、精神症状(知能低下)、知覚障害、視野欠損が生じる。出血は、大脳半球の脳実質内あるいはくも膜下腔、脳室内のいずれにも起こりうるが、脳動脈瘤と同様くも膜下出血を伴いやすい(三六ないし六〇パーセントはくも膜下出血の形で初発する。)。一般に脳動脈瘤破裂の場合に比し、くも膜下出血の程度は軽い。脳動静脈奇形は、開頭手術の際その所見が得られることが多い(なお、前記のとおり、帝京大学病院における光の開頭手術記録中には、脳動静脈奇形の所見の記載はない。)。予後は脳動脈瘤よりも良好である。

(4) 隠れた脳動静脈奇形による出血

この出血は、静脈性のものであるため、高血圧性血腫や脳動脈瘤に比し、発症の経緯、症状の進行が緩やかで、頭痛、嘔吐等で発症し、徐々に片麻痺、失語症等が出現し、意識障害が発生するまで数日を要する例もある。急性の発症の場合も意識障害を来すまで数時間を要し、予後は良好であるのが通常である。若年者で男性に多く、四〇歳以下が七〇パーセント、男性が女性の二・五倍である。隠れた脳動静脈奇形は、奇形が小さいため、脳動静脈奇形とは異なり、破綻によって消失してしまい、開頭手術をしてもその痕跡が見つからない場合が多い。

(5) 光の臨床症状等

光の脳出血は突発性頭痛により発症し、徐々に症状が進行して、見当識障害を発現し、約二〇時間かかって意識昏睡状態に陥ったものと考えられ、発症の経緯、症状の進行は緩慢であったこと、帝京大学病院における光の開頭手術記録中には、脳動静脈奇形の所見の記載はないこと、光は発症当時四〇歳の男性であったこと等の事実は、隠れた脳動静脈奇形による出血の場合の臨床症状等に酷似し、仮に前記のCT所見による巨大な血腫が、高血圧性脳出血や脳動脈瘤破裂によって形成されたものであったとすれば、光はもっと早期に重篤な症状を呈していたものと考えられる。

右の各認定事実によれば、光の脳出血は、隠れた脳動静脈奇形が破綻したことによるものと認めるのが相当であり、成立に争いのない甲第六三号証、当審証人杉山修次の証言、原審における鑑定結果中右認定に反する部分は、前掲各証拠に照らし採用することができない。

もっとも、被控訴人は、そもそも隠れた脳動静脈奇形破綻による出血は脳動脈瘤破裂等に比し発生頻度が少ない上、皮質下出血のうち四一・二パーセントが高血圧性出血であったとの報告(甲第四五号証)や皮質下出血のうち五五パーセントが非高血圧性脳出血であった(そうすると、四五パーセントは高血圧性脳出血であったことになる。)との報告(乙第一三号証)があるから、光の脳出血は高血圧性脳出血であった可能性が強い旨主張する。しかしながら、甲第四五号証の記述によると、右の統計は限られた地域(東北地方)における単発性皮質下出血の症例を分析した結果にすぎず、かつ皮質下出血でも動脈瘤、もやもや病、出血性梗塞等を除外したものであり、また、特発性脳出血(隠れた脳動静脈奇形もこれに含まれるものと考えられる。)の割合は高血圧性出血より高い四五・八パーセントであったとされていること、そして、甲第四五号証、乙第一三号証の各記述とも、皮質下出血が通常の高血圧性脳出血の中では特異な立場を占めること、あるいは皮質下出血には高血圧以外の原因による脳出血が少なくないこと、若年成人に起きた脳出血の場合には非高血圧性の原因が多いこと、皮質下出血は非高血圧性の原因を絶えず考慮すべきであるとしていることから、被控訴人の指摘する右の統計だけでは前記認定を左右するに足りず、かえって、光に高血圧の既往症がなく、年齢も四〇歳と好発年齢より一〇歳以上も若かったこと、帝京大学病院によるCT所見、その臨床症状等から見ても一般的な高血圧性出血の場合とは顕著な相違が認められること等に照らせば、光の脳出血が高血圧性出血であったことは否定されなければならない。

被控訴人は、次に、医学文献(甲第三八号証)によると、脳動脈瘤破裂の場合の重症度、進行の早さ、頭痛の激しさ等は、動脈瘤の大きさ、出血の程度等により異なるものであり、破裂というよりは洩出といった方がよいような少量の出血の症例もあるから、脳動脈瘤破裂の可能性を否定することもできない旨主張する。しかしながら、甲第三八号証の記述は、脳動脈瘤が存在するのはくも膜下腔であるから、脳動脈瘤が破裂すると当然くも膜下出血を来すこと、普通くも膜下出血は突然の激しい頭痛を来し、一過性に意識消失を伴うこともあるとし、洩出といった方がよいような少量の出血は例外的な症例として記載していることが明らかであって、右主張は採用することができない。

ところで、隠れた脳動静脈奇形による脳出血は予後が良好であるのが一般的であるが、光の場合には発症の経緯及び進行が緩慢であったため、鶴瀬病院における診療の際異常所見が認められなかったことが一つの要因になって死亡にまで至ったものと認められるから、前記認定の妨げになるものではない。右のほか隠れた脳動静脈奇形破綻による出血の発生頻度自体が少ないことを併せ検討しても、前記認定を覆すに足りず、他に前記認定を覆すに足る証拠はない。

7  光の脳出血の業務起因性(同4(四)(1))

被控訴人は、光の脳出血は、出張中の過重な業務によるストレス反応が発症の一因になった旨主張するので、検討する。

(一)  光の従事していた業務の性質・内容

(1) 出張前の業務の内容等

そもそも、光の出張前の業務については、被控訴人も、脳出血発症の原因になったとは主張していないが、念のため判示すると、前記認定のとおり、光の出張前の業務は、現品係としてエアコン部品の倉庫への搬入・保管、工場への払出しであり、通常午前七時三〇分ころ出勤し、午後六時ころ帰宅していたものであって、身体的・精神的に比較的軽度であり、出張に際しても、特に負担が増加したとは認められないから、ストレス反応を生じさせるようなものではなかったということができる。

(2) 出張中の業務(本件業務)内容等

<1> 前記認定のとおり、派遣先のマツモト電器店において、光が実際に従事した仕事の内容は、チラシ配り、展示品の清掃、商品整理、通路の整理等であり、そのほかには仕事らしい仕事はしておらず、本格的な接客業務は未だ始まっていなかった。勤務時間中はほとんど立ちっぱなしの状態であるが、平日は来客も少なく、業務内容自体は軽作業というべきで、過重な身体的・精神的負荷を与えるものではなかったものというべきである。そして、通勤には、地下鉄丸の内線と東上線を利用し、約一時間二〇分を要したけれども、都心から反対方向に向かう東上線だけでなく、地下鉄丸の内線についても、光の通勤時間帯の混雑状況は五〇パーセント程度にすぎず、格別大きな負担を与えるものではなかったものと考えられる。そして、光の宿泊した富士館は静かな環境にあり、光の使用していた部屋は三人相部屋であったけれども、光が格別不眠を訴えていなかったことも前記認定のとおりである。

<2> もっとも、光は、初めての出張で緊張していたことや、経験したことのない販売業務に従事することに対する不安があり、新しい職場環境、生活環境に順応するためにも気を使い、ある程度の精神的負担を感じていたことが認められるし、勤務時間以外にも、商品知識や接客の仕方等について勉強していたことも認められる。また、光は、もともと無口で内向的な性格だったこともあって、販売応援業務に対し神経質になり、通常の者よりは強い負担を感じていたことを窺うことができる。しかしながら、これらは、未知の職場環境・生活環境に対する漠然とした不安感・警戒感等の内発的感情及び未経験の業務で失敗しないための自発的学習といった要素が強く、現実に精神の集中を要する業務や肉体的労苦の大きい業務に従事した場合の身体的・精神的負荷とは同一視することができない。

(二)  ストレス反応に関する医学的知見と光における具体的なストレス反応の存否

(1) 成立に争いのない甲第四〇ないし第四二号証、第四三号証の二、三によれば、一般的生理的機序として、情動刺激等による精神的及び身体的負荷(ストレッサー。被控訴人の使用する用語にしたがい、以下「外的ストレス」という。)が、有害物質を生成し、血圧上昇、心拍数増大及び末梢血流・エネルギー代謝の亢進を引き起し、過大な外的ストレスは人の血管硬化等の原因となる一般的可能性のあることが認められる。しかしながら、右第四二号証、前記乙第一六号証によれば、外的ストレスに対する生体側の反応(ストレス反応)の仕方は、その者の器質的異常、性格、生育歴、環境因子等によっても左右され、画一的に考えることができない上、ストレス反応の程度を測定しうる客観的尺度はなく、また、どのような又はどの程度の外的ストレスがストレス反応を生じさせるのかといった定量的関係も不明であることが認められる。

(2) 出張中に光の従事していた仕事の内容自体は過重なものではなく、静岡製作所における約二〇年に及ぶ販売応援業務において(その中には、光と同様富士館に宿泊して、マツモト電器店で販売応援業務に従事した者もいることが、前記乙第九号証、原審証人井口静雄、同中村芳文の各証言によって認められる。)、健康上の災害が発生したことがなく、また、前記小島清の経験では、販売応援のためマツモト電器店に派遣された者で、身体の不調を訴えた者や途中で切り上げた者がいなかったことは前記のとおりであるところ、出張中の光の様子について元気がなかったことは認められるものの、本件業務その他出張中の生活によって、光の血圧や循環器系の生理機能に悪い影響が生じたことを窺わせる的確な証拠はなく、かえって、発症当日の鶴瀬病院における血圧が正常値(収縮期血圧一二〇、拡張期血圧八〇。なお、翌日の帝京大学病院入院時の血圧の測定値も同様)であったことは、前記のとおりである。

(3) してみれば、本件業務によって光にストレス反応が生じ、その結果脳出血が発症したとする被控訴人の主張は、その前提事実の立証が不十分であり、この点において既に失当というべきであるが、さらに以下の医学的知見に照らしても疑問があるものというべきである。

(三)  ストレス反応と脳出血発症の機序

ストレス反応が脳出血の発症に関与する態様として、(1)ストレス反応が血圧を上昇させ、これが持続することによって脳血管病変を発生又は増悪させること、(2)ストレス反応が血圧を上昇させ、その血行力学的影響によって、既に脆弱化した脳血管を破綻させることの二つが考えられる。

ところで、前記のとおり、血圧の上昇によって脳血管病変が発生又は増悪するには、相当長期にわたり血圧の上昇が持続されることが必要であるところ、光は出張開始の日から僅か五日目(マツモト電器店で働くようになってから四日目)で脳出血を発症しているから、この期間中に基礎疾患たる脳血管病変の発生又は増悪があったと考えることはできない。

そこで、右(2)、すなわち光の脳出血の発症原因である隠れた脳動静脈奇形破綻に対し、ストレス反応による血行力学的影響がどのように関係するかについて検討する。

(四)  隠れた脳動静脈奇形破綻の誘因

脳出血は、脳血管病変に血行力学的影響が加わって血管が破綻し発症するものと考えられるところ、前記甲第三八号証、乙第一六号証、原審証人中島正二、当審証人馬杉則彦の各証言によれば、ここでいう「血行力学的影響」とは、必ずしも血圧の上昇等による影響をいうものではなく、血管内を血液が流れるためには常に一定の圧力(血圧)が血管壁に加わっており、特に外的刺激に対する生体反応による血圧変動等の影響がなくても脳血管が破綻することは当然ありうるものであること、そして、発症部位等からみて、より高血圧による影響が受けやすいものと考えられる脳動脈瘤の場合であっても、高血圧の影響について諸説があって一定しないこと、隠れた脳動静脈奇形による出血の誘因については、外国の研究者によるとその発症に特記誘因がないとされ、邦文の文献にも特記誘因を記載したものは見当たらず、報告された個々の症例を分析しても、その発症の誘因を同定することが困難であり、自然発生的に発症する例が多いことが認められる。

(五)  脳血管の形態的特徴及び血流量の自動調節機能等

(1) 前記甲第四五号証によると、(一)脳血管は、その形態的特徴から、<1>広義の皮質枝系と<2>穿通枝系に分類され、<1>広義の皮質枝系とは、脳表面を走る軟膜動脈と脳内動脈のうちの皮質枝と髄質枝を合わせたもの、<2>穿通枝系とは脳内動脈のうち線条体(尾状核及び被殻からなる)枝と穿通枝(主に視床、視床下部などに分布するもの)を合わせたものに当たると考えてよいこと、(二)広義の皮質枝系と穿通枝系とは、それぞれ生理的に異なった血圧勾配を有するものと考えられ、近位部の血圧変化に対する血管系の適応の余力は両者で差があり、概して血圧勾配の急な穿通枝系の方が皮質枝系より高血圧性障害を受けやすいと推定され、また、全身性血圧の変動に際し、皮質枝系の軟膜動脈は圧調節部としての役割を持つことが認められる。

ところで、前記のとおり、光の脳出血の発症部位は、皮質下(耳の上二、三センチメートルのところで白質内)であり、主たる病変は脳の表面に近いところにできた血腫が大部分を占めていること、破裂した血管は、頭頂後頭葉の中大脳動脈か後大脳動脈の末梢部の細かい血管と考えられるところ、右事実と、前記乙第一〇号証の一ないし七、当審証人馬杉則彦の証言を総合すると、光の脳出血は、広義の皮質枝系の細かい血管が破綻したものと考えることができる。

(2) 成立に争いのない乙第二三号証、当審証人馬杉則彦の証言を総合すると、全身血圧の変動が脳血管の血圧に及ぼす影響について考えると、主幹動脈のような太い血管についてはその影響を受けるものと考えられるが、細い血管になればなるほど少なくなって、三〇mmHgくらいになると、血圧というのがほとんど測定できないため、血流で代表することになり、毛細血管レベルまでいくと、何mmHgということで比較することは滅多にないこと、人の身体には自己調節機能があって、血圧が外的要因により変動しても、脳の血流量について一定に保とうとする働きがあり(血流量は血圧と血管抵抗の関数で表されるから、この働き自体は血圧を一定に保とうとする機能をいうものではない。)、広義の皮質枝系末梢部の動脈であれば、血流量が概ね一定に保たれているものと考えられ、したがって、血圧が血流で代表されるレベルまでいくと、外的要因による血圧の影響もほとんどないと考えられること(もっとも、身体的・精神的な過重な負荷により、この機能が破綻する可能性はあるが、脳出血発症当時の光の血圧が正常値であったことは前述した。)、人は、正常な状態でも日常生活上その時々で血圧が変動しており、一日における変動(日差変動)として三〇mmHg程度は考えられること、以上の事実が認められる。

(六)  右(三)ないし(五)の各事実に照らして、前記の本件業務内容等を検討すれば、光の脳出血は自然的経過で発生した可能性が強いものというべきであり、本件業務によるストレス反応がその原因であると考えることは、著しく医学的知見に反するものというべきである。したがって、この点からも被控訴人の前記主張は肯認できないものであり、右に反し被控訴人の主張に沿う趣旨の前記甲第六三号証、当審証人杉山修次の証言、原審における鑑定の結果は、これまでの説示に照らしいずれも採用しがたく、他にこれを認めるに足る証拠はない。

8  脳出血発症後の症状増悪についての業務起因性(同4(四)(2))

被控訴人は、出張中の従業員に対する静岡製作所の健康管理体制の不備、光の発症後の十分な看病、症状の監視体制等の欠如により、光において迅速な診断、治療を受ける機会を奪われたから、出張中という業務の特殊な状況によって光の症状の増悪、死亡が招来されたものであって、光の死亡について業務起因性が認められる旨主張する。

しかしながら、前記のとおり、昭和五五年七月五日午後四時ころ光はエアコン売場で仕事中気分が悪くなり、マツモト電器店二階の店長室のソファーで休み、午後五時ころ同店主任吉田正男の運転する乗用車で富士館に送ってもらうことになり、その途中午後九時二五分ころ鶴瀬病院で医師の診療を受けたこと、そして、その時は光は意識もはっきりし、特に異常所見が認められず、血圧も正常値であったこと、右吉田正男は入院を勧めたけれども、光は富士館に帰って休みたいと希望し、医師も大丈夫であると言ったので、富士館に帰ることになったこと、この間何度が吐き気をもよおしたが、富士館に着いた時も、光は意識がはっきりしていて、「寝ていれば直る。」と言っていたこと、その後他人の部屋をトイレと間違えたり、吐き気や頭痛を訴えたが、井口が徹夜で看病し、翌六日午前四時から光が眠りについたため、井口は午前九時ころ登崎に事後のことを頼んで出勤したこと、午前一〇時ころ登崎は鶴瀬病院に電話して病状を確認し、「疲労によるもので心配はない。」との返答を受けたので、やや安心し、そのまま光を寝かせていたこと、午前一一時一〇分ころ光がトタン屋根の上に倒れた状態でいたこと等の異常が認められたため、同宿の者や富士館の従業員が午前一一時二〇分ころ救急車を手配して帝京大学病院で受診させ、午前一一時五〇分ころ同病院で直ちに脳検査を受けたことの以上の事実が認められるから、光は、常にマツモト電器店の吉田正男や同宿の者らの介護、看病を受け、比較的早期に最初の医師の診断を受けることもできたものというべきであり、また、症状の進行が緩慢であり、光自身が「寝ていれば直る。」と言っていたことや「疲労によるもので心配はない。」との医師の説明があったため、しばらく経過観察が続けられていたものであるが、その後の光の異常について同宿の者や富士館の従業員が早い段階でこれに気付き、直ちに救急車の手配をして帝京大学病院で受診させているから、これらの事実経過に照らせば、光が出張中であったため迅速な診断・治療を受ける機会を奪われたということはできず(原審における鑑定の結果は右の判断を覆すに足りない。)、したがって、被控訴人の右の主張も、その前提事実を欠き、失当である。

9  以上によれば、光の死亡について業務起因性を認めるに足りないものというべきである。

三  よって、原判決を取消し、被控訴人の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 野田宏 森脇勝 高橋勝男)

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